CPサロン ピネッド


CPサロン ピネッド

フェイシャル・エステティックサロン


「綺麗になって、まちも元気に」

インタビュー先:CPサロン ピネッド 高橋順子さん



電話番号:0192-54-5411
営業時間:10:00~19:00
     (日曜日のみ17:00まで)
定休日 :月曜日


■綺麗になることを一緒に楽しむ
CPサロン ピネッドさんはボトルキープ制(※)で、会員制のフェイシャルエステティックサロンである。お客さんは20代前半から、上は80代の方までの女性(残念ながら男性は利用不可)、遠くは遠野市や気仙沼市から通われる方もいる。お客様が気軽に通っていただけることと、そのための雰囲気作り、お客様に親身に向き合ってお肌の変化を一緒に喜んであげることをお店の理念とし、お客様には綺麗と、笑顔、そして幸せになってもらうことを目指している。
(※ボトルキープ制とは、自身で購入した化粧品を店舗に置いておき、エステを受ける際にそれを使用するというものである。)
店内には、2つのメイク台のほか、奥にフェイシャルエステ用ベッド2台がある。

■きっかけはスカウトから
ピネッドのオーナーである高橋順子さんは、26年間、この陸前高田でエステサロンを営んでいる。最初は大船渡にあるお店の客として通っていた高橋さんだが、そこでCPサロン営業所の所長さんに「お店をやらないか」とスカウトされたのがきっかけでこの業界に入った。最初はお試しの気持ちで「まず1年」と始めたが、お客さんが増え、小さな店では回らなくなり、駅前通りの商店街にあったサンプラザにテナントとして移転した。小さい頃からお化粧に興味がある子で、お母さんの化粧をずっと見ていたり、前の職場では先輩方のお顔を借りて化粧をさせてもらっていたという。
  
■被災と犠牲
震災当時、高橋さんはご主人と買い物に出かけ、お店は二人のスタッフに任せていた。地震を受けて店に戻り、誰もいないことを確認してから避難所になっていた市役所に行くと、そこにスタッフの一人がおり、合流をした。市民会館の三階に逃げるが、そこにも津波が押し寄せてきた。波にもまれながらも必死に手をつないでいたが、何かにぶつかり手が離れてしまう。奇跡的に高橋さんは助かったが、そのスタッフは亡くなってしまった。


■贅沢かもしれない、けれども癒しになれば
震災後は、主人の両親を探す日々であり、お店のことを考える時間はなかった。震災の年の夏にあった町おこしイベントの際に、商工会の方から「ピネッドも店を出してくれないか」と打診され、最初は「そんなことを考える余裕がなかったし(生活が苦しい時期に)エステサロンなんて」と思ったが、イベントでメイクをしてさしあげることにした。すると、そこに来たお客さんから「お店はいつから再開するの?」、という声をもらった。次第に、「贅沢かもしれないけど、気持ちが落ち込んでいる中で、ちょっとでも癒しになれば」、という考えを持つようになり、お店を出すことを決意した。

■営業再開後のあゆみ



大隅の仮設商店街で営業していた時のピネッド
ピネッドさんは、大隅にある仮設商店街「つどいの丘」にて営業を再開した。その活動は、まずは震災以前に200人いたお客さんへの声がけから始まった。11人に電話をかけ、営業再開の報告をした。流されてしまったボトルは、戻って来てくれるお客さんの分だけ、CPサロンの営業所から無償でいただいた。その結果、65人程のお客さんが戻って来ることとなった。


■誰でも通えるサロン
アバッセへの入居を決めたのは、早くお店を始めたかったという思いと、大型商業施設に入っていれば、多くの人に目を向けてもらえるチャンスがあるという思いからだった。サロンの敷居は高くはない、誰でも通えるサロンということをアピールしたいという。実際、飛び込みのお客様もいるそうだ。
料金もボトルキープ制のため、そのボトルを個人でお買い求めいただいた後は、技術料として2,000円(税抜き)をいただくのみと安価である。
 
■女性が元気になればまちが元気になる
マイナス5才、10才の潤い、ハリ感へGO‼
震災前は、傘下のサロンが釜石と大船渡にそれぞれ1店舗、陸前高田にはピネッドのほかにもう1店舗と、計4店舗あったが、震災後は、ピネッドと大船渡の1店舗の計2店舗だけになってしまった。
高橋さんの思いは、「自分もこんなお店を持ちたい」という人がいれば応援して、”綺麗の輪”を広げていくことだ。そこには、高橋さんの「女性が元気になれば男性も元気になる。そうすれば、まちも明るくなっていく。」という思いがある。「今は、スタッフにも恵まれて幸せ。この幸せを皆にも分けてあげたい。」と語る高橋さんは、今日もみんなやまちを、綺麗に元気にしていく。





インタビュアー:
岩手大学修士1年 (A.M
インタビュー実施日:2017/11/25
宮城県仙台市出身です。大学入学を機に盛岡にきました。陸前高田には、今回で3回目でした。大学入学直後に来た時は、(語弊を恐れずに言うと)まだ何もなかった高田の町が、去年、そして今年とどんどん変わってきていて、それこそ奇跡の一本松のように、まちと皆さんから強い活力を感じています。この変化を、もっと多くの人に見て欲しいです!